2009年10月25日

122得点

世界一を調べていたら出てきた、高校野球の話



まれに地方大会では1チームに30点以上も取る大量得点試合を目にすることがある。
その中でも特筆すべきは1998年の青森大会2回戦、
東奥義塾高校対深浦高校(青森県営野球場)の一戦である。

チーム    1 2 3 4 5 6 7 R  H
東奥義塾 39 10 11 17 16 12 17 122 86
深浦     0 0 0 0 0 0 0 0  0

この試合、東奥義塾は1回に早くも39点の得点を上げ、更に2回以後も毎回10得点以上を獲得、
夏の大会では地方大会、全国大会を通して初めて 100点の大台を上回る122-0の圧勝を演じた。
当時の東奥義塾の成績は打者149人、ヒット86本(うち2塁打31、3塁打21、ホームラン7)、
四死球36、盗塁78、三振1だった。4番打者の珍田はサイクルヒットを2回記録した。
逆に深浦は打者25人がノーヒット(うち三振16)だった。

深浦ナインは正式な野球部員が10人しかおらず、しかもその半数は野球経験が全くなかった。
この試合は青森朝日放送で生中継されていたが、
放送予定時間内ではとても試合終了まで中継することができず、
試合途中の2回49点差で放送は終了した。

現在5回終了時に10点差以上付けばコールドゲームで終了するが、
当時の青森大会の規定では7回まで行うことになっていた。
深浦の監督が「ここで試合をやめる(没収試合)という選択肢もあるが」と選手に問うと
「ここで試合をやめてしまうのは、応援されているのだから野球をする気が引けてしまう」ということで
最後まで戦い抜くことを決断。結局7回まで試合が行われた。
また、東奥義塾も「手を抜くのは失礼に当たる」と手を緩めることなく攻撃を行った。

この試合については後に川井龍介が「0対122 けっぱれ!!深浦高校野球部」と題した
ルポルタージュ本としてまとめている
(のち加筆され「122対0の青春 深浦高校野球部物語」として文庫化された)。

この試合を教訓に高野連は地方大会のコールドゲームの基準を2000年度から統一し、
5回以降で10点差以上、7回以降で7点差以上の差が付いた場合はコールドにするよう通達した。
ちなみに、深浦高校は2004年の青森大会で、
松風塾高校に13-6(青森市営野球場)で7回コールドで大会初勝利を挙げたが、
同年7月21日に2007年度から青森県立木造高等学校の分校化が決定した
(現在は「木造高校深浦校舎」として出場している)。


タグ :おもしろ


Posted by Oh!紙…!!! at 14:05│Comments(0)
 
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